鹿野城

別名 王舎城
      志加奴城
    鹿奴城
付近住所 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野 現在 城山神社
2003/8/9 碑・案内板アリ 日本城郭大系


志加奴氏→
山名氏→
亀井氏→
池田氏
1578年羽柴秀吉が亀井茲矩を先駆として毛利氏の支城となっていた鹿野城を攻め落し、羽柴軍山陰攻めの前線基地の役割を持ちました。亀井茲矩は鹿野城の城番を命ぜられ、翌年の秀吉の再出陣までの間、鹿野城を守るのみでなく近くの諸城を攻め落し、これらの功により城主に任命されました。関ヶ原の戦いの後、世の中が落ち着くと茲矩は城の大拡張を行いました。古い鹿野城は山頂に近い部分だけの山城でしたが、山麓を中心に本丸、周囲に薬研掘、内掘、その外側に外掘をつくり、近世の城として面目を一新しました。その一方でまえからの山城を整備しました。城は仏教思想にもとづく(王舎城)の名が、また櫓には南蛮貿易を物語る「朝鮮櫓」「オランダ櫓」の名が残っている。

    縄張図